沿革

安政明治大正 昭和元年~昭和10年~昭和20年~昭和30年~昭和40年~昭和50年~昭和60年~ 平成元年~平成10年~平成20年~
創業者 湯澤精司、長野県喬木村に生まれる
1月 湯澤精司、東京横浜毎日新聞入社
5月 廣告社、毎日新聞(旧東京横浜毎日新聞・現在の毎日新聞とは関係がありません。)の広告取次業として京橋区南鍋町1丁目1番地(現在の銀座5丁目3番地)にて創業 東京日日新聞 (明治22年6月19日) 自社広告
5月 廣告社探明局(私立探偵のはしり)設立 (~1893年5月) 廣告社探明局の 「探索事務引請の公告」 (『東京朝日新聞』 明治24年12月23日)
10月 東京新聞広告取次同盟会 (8社)設立、加盟
副業として「湯澤煙草商店」および電気帯製造「東京医療電気商会」設立
6月 我が国初の全国広告取次業者大会開催 明治21年5月1日、 廣告社は京橋南鍋町1丁目1番地で創業した。 明治35年の地図に 「廣告取次 廣告社 湯澤精司」 と記載されている。
4月 日本経済通信社、廣告社の 通信部門として設立 『時事新報』の経済欄にヒントを得て、明治41 年4月15 日に創刊した『日刊日本経済通信』の「創刊20周年記念号」(昭和2年5月5日)
社屋建設
東京協同会(業者団体、1914年設立)に加盟 大正9年に学生募集広告が始まる。これが後に「学校連合広告」に発展していく。(東京朝日新聞、大正9年2月13日)
9月 関東大震災にて社屋全焼、報知新聞別館内に一室を借り受け営業 関東大震災で社屋を焼失した廣告社は報知新聞社構内の仮事務所で営業を再開した。『東京朝日新聞』大正12年9月11日号外に社告がある。(東京朝日新聞、大正12年9月11日)
11月 罹災跡地に社屋を新築営業開始 大正3年に京橋南鍋町に社屋新築。昭和5年の町名変更で京橋区銀座西5丁目1番地となる。
廣告社社章制定 廣告社社章(三面天狗)
11月 天皇即位礼新聞広告 昭和3年11月10日の天皇即位礼に、「紙上提灯行列」のアイディアを実現した(『東京朝日新聞』)
4月 湯澤精司、日本新聞協会総裁大勲位 稔彦王殿下(東久邇宮)より、永年の業界への功績を讃える御沙汰書を頂く 日本新聞協会18回大会(昭和5年4月8日)で東久邇宮稔彦総裁から御沙汰書を顕彰
11月 社屋新築 関東大震災で社屋焼失のため、昭和5 年11 月に新社屋を建てる。この社屋は昭和20年3月10日、東京大空襲で焼失するまで使われた。
8月 ロサンゼルスオリンピック選手凱旋キャンペーン実施 第10回オリンピック選手団帰国第一陣への「歓迎船」。主催は東京朝日新聞と廣告社で、アイデアを出した廣告社は広告業者で一社だけ乗船できた。
オリンピック選手凱旋歓迎広告 (東京朝日新聞 昭和7年9月3日)
8月 社員旅行開始 会社の商標を並べる「トレードマーク連合広告」は昭和3年に始まった(写真は東京朝日新聞 昭和8年2月27日)
10月 『東京著名病医院鑑』発行 廣告社の医院案内連合広告は明治30年代からの長い歴史を持つ。 昭和になると全ページ広告へ発展した。(「都新聞」昭和12年2月22日)
廣告社社歌完成 (堀口大学作詩、杉田良造作曲) 「よきを広むる広告の 使命は重し廣告社・・・」堀口大学作詞、杉田良三作曲で昭和10 年につくられた「廣告社の歌」
4月 湯澤精司業界生活55 年祝賀会 (於:東京會舘) 光永星郎電通社長の音頭取りで湯澤精司の「業界55 周年祝賀会」が東京會舘で行われた (昭和12年4月14日)
6月 廣告社創業55 年『日本経済通信』創立30 周年自祝会(於:東京會舘)これを機に株式会社とし、湯澤清が代表取締役社長に就任 廣告社創業55 年記念の「マーク連合」広告(東京朝日新聞 昭和12年4月25日)
戦時体制に入り、新聞用紙制限等が実施され広告界全体が苦闘期に向かう
従業員移動禁止令に伴い、求人広告大幅減少 昭和12年日中戦争の本格化から、広告世界にも戦時色が色濃くなっていく(『東京朝日新聞』昭和14年8月21日)
12月 太平洋戦争勃発。広告状況急激に悪化 戦争の激化とともに若い社員は兵隊に取られ、社員は激減。(社員の出征壮行会 昭和17年頃)
11月 戦時下の企業統合により株式会社日本廣告社となる(廣告社、豊国通信社、弘報堂、告天社が合併。廣告社本社を社屋とする) 戦時体制化の下で企業統合。広告界は自主整備で昭和19 年11 月1 日、廣告社は他の3 社と合併し「日本廣告社」に衣替えした。
3月 3月東京大空襲により社屋焼失 創業者 湯澤精司逝去(享年89歳)
8月 廣告社株式会社復活(資本金19万円) 代表取締役社長 湯澤清
5月 日本新聞広告業者協会(日本広告業協会の母体)発足
5月 昭和26年9月1日の民間放送スタートに先駆け、ラジオ部を設置 昭和26 年発行の「ラジオサービス」のパンフレット
10月 湯澤清 代表取締役会長、水野幸吉 代表取締役社長に就任
5月 資本金76 万円に増資。 品川区大井にラジオスタジオ設立 昭和27 年、日本が 16 年ぶりに オリンピック参加。
9月 名古屋支社開設
10月 大阪支社開設
4月 湯澤清 代表取締役社長に就任
12月 資本金304万円に増資
5月 廣告社創業70周年
5月 福岡支社開設 昭和37年から「大学展」 が始まる。 これが後の「入試相談会」 へ発展していく。
10月 湯澤清 代表取締役会長、 木村正雄 代表取締役社長に就任
10月 関川光男 代表取締役社長に就任
8月 広島支社開設
7月21日 アポロ月面着陸当日 「富士銀行」読売新聞一面記事下 広告掲載 昭和44年7月21日、アポロ11 号が人類初の月面着陸。他紙のほとんどが広告を飛ばす中、読売新聞1面の広告が話題となった。
5月 資本金1,064 万円に増資
10月 関川光男 代表取締役会長、 湯澤洸 代表取締役社長に就任 総本社機構(現在の社長室)の設置
12月 資本金2,340 万円に増資 石油危機による新聞紙面縮少、TV 放映時間短縮。
12月 資本金3,510 万円に増資
5月 株式会社廣告社事業局(後の株式会社ココイオス)設立
12月 資本金4,212 万円に増資
2月 札幌支社開設
3月 創業90周年 創業90周年 シンボルマーク
10月 オフコン稼動 昭和53年10月に導入、翌年3月から正式稼働したオフィスコンピュータOKITAC system9
6月 仙台オフィス(現営業所)開設
12月 資本金5,000万円に増資
5月 廣告社創業95周年 創業95周年シンボルマーク
12月 資本金7,000万円に増資
5月 廣告社創業100周年 創業100周年シンボルマーク
8月 蓼科三井の森に廣告社保養所 「てんぐ荘」完成 平成元年8月 蓼科三井の森に、15名が宿泊できるログハウス「てんぐ荘」が完成
2月 資本金8,400万円に増資 平成元年7月15日から11月26日まで開催された「世界デザイン博覧会」
8月 群馬県草津温泉「アドリーム草津」に廣告社保養所完成 平成2年8月、草津温泉、「アドリーム草津」最上階に保養所を完備。草津国際スキー場すぐの温泉が自慢のリゾートマンション
10月 湯澤斉 代表取締役社長に就任
5月 廣告社創業110周年記念集会(宮崎フェニックス・シーガイア・リゾート) 創業110周年 シンボルマーク
10月 社長室、大学ソリューションセンター、東京本部が「交詢ビルディング」に移転 交詢ビルに移転。個人情報に対応するため各種セキュリティを強化。写真はセキュリティルーム
10月 プライバシーマーク認証(審査登録) 平成17年5月23日から9月25日まで開催されたEXPO2005「愛・地球博」
5月 廣告社創業120周年記念集会(東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ) 世界独立系広告会社ネットワーク「MAGNET(Marketinng&Adver-tising Global Network)」に加盟 創業120周年シンボルマーク
1月 名古屋支社「グラスシティ栄ビル」に移転
7月 株式会社ココイオスを吸収合併 株式会社大学ソリューション・ パートナーズ設立
10月 北京駐在員事務所開設
5月 学校経営コンサルティング株式会社設立
5月 ハノイ事務所開設(ベトナム) 創業125年記念事業「広告のあけぼの~廣告社・湯澤精司とその時代」発行     創業125周年 シンボルマーク 創業125周年シンボルマーク
9月 「広告のあけぼの」出版記念パーティ(於:東京會舘) 「広告のあけぼの」出版記念パーティ(於:東京會舘)
10月 湯澤斉 代表取締役会長就任、 志村潔 代表取締役社長に就任
4月 廣告社ベトナム駐在事務所 「日越間大学情報センター」開所
9月 湯澤斉 代表取締役会長兼社長に就任
湯澤大介 代表取締役専務に就任

よもやま話

「廣告」といふ言葉を熟語にして、廣(ひろ)く一般に普及徹底したものは、實(じつ)に現在の廣告社社長兼日本經濟(けいざい)通信社社長たる湯澤精司君であったのだ。明治17年に出版された「言海」といふ大辞書にも「廣告」といふ熟語は掲載されてゐないが、廣告社の創立が明治21年であるから、これは當(とう)然(ぜん)のことである。公告、報知、告知、告示といふ文字に、やや馴れてきた位の國民であるだけ、廣告社といふ斬新な社名は、當事(とうじ)の人々に、非常な清新味を與(あた)へたものである。ここにも、湯澤君の周到なる用意があったことが窺(うかが)はれる。

*「日刊 日本経済通信」創刊30周年記念号(昭和12年6月1日発行)に掲載された「前衆議院議長 秋田 淸」氏の記事より抜粋